初出:2014/05/06 Vol.66 俺コラム
技術は人を殺さない。人を殺すのは人だ。
のっけから物騒ですが、たびたび言われてることでしたね。
技術そのものには善悪はないからね。これはいけないあれは駄目、では技術の発展はない。
はっはっは。まったくもってその通りだな! という訳で諸君、今日も実験に付き合ってもらうぞ!
いやあの、それはそれこれはこれで巻き込むのはやめてくれませんかね!?
はっはっは。返事は聞いていない! それ、3、2、1、ファイヤー!(BOMB!)
カ、科学ノ進歩、発展ニ犠牲ハツキモノデース・・・(ガクリ)
くられ先生の「科学観」
インタビューや科学系記事で、よく問われる話に「科学観」というものがある。
なんのこっちゃというと「良い側面」「悪い側面」という話のこと。
マスメディアでは、しばしば科学について、世の中に役立つ明るい面、つまり「良い側面」と、人や社会に危害を加える闇の面、つまり「悪い側面」があるなどと評されています。
自分は、これはただの偏見でしかない、と思っています。聞こえの良い言葉で技術を良い悪いに振り分けるなど愚の骨頂。
そんな訳で、今回は「俺の科学観」についてお話できればと思います。
世間が「科学」「科学者」に求める空気
電子レンジとレーダー。抗がん剤と化学兵器。インターネットと軍事回線。
確かに、ちょっと例を挙げていくだけでも、様々な技術の平和的な活用と、その対極に見える軍事技術のように、良い側面と悪い側面、表と裏とがあるように思えるかもしれない。
実際には、生み出された技術を人間がどう使うかでしかないので、技術そのものに対して善悪を定義するのはおかしな話です。
他の記事や、それこそ拙著「アリエナイ理科」シリーズで何度も言ってきたことだが、技術は人を殺しません。人を殺すのは人です。
端的に言えば、ナイフを料理に使うか人を刺すのに使うのかって話。
にも関わらず、技術そのものが悪者にされることがある。これは科学者に向けられる空気もそうで、聖人君子たれと言わんばかりです。
科学者は聖人君子ではないし、そうである必要もない
科学や医学に携わり、白衣を着る以上は、そうでない人より高潔であれ、聖人君子であれ、と、世間は必要以上に求めているように思います。
そして結果や責任が常に求められ、清廉潔白であれ、嘘をつくなど以ての外、なんて空気になる。
確かに、職業的な倫理観というものは必要でしょう。しかしそれは、程度の差こそあれ誰にだって求められるものです。翻って、職業的に問題なければそれでよく、私人たる部分にまで踏み込まれる謂れはないはずです。
科学者だって人間ですから、他の人間がそうであるように、しょうもないバカ(言うまでもなくお勉強が云々という意味ではない)もいるし、頑固な偏屈もいるし、お金や下半身にだらしない人もいます。
枕営業で論文をでっちあげちゃう人だっているくらいですしね。これは職業的な倫理観に触れるし、個人的にも流石に死んだ方が良いのではと思うが(笑)。
ただ、こういった側面を見て、科学者なのに、医者なのに、というフィルターを通して、過剰に懲罰的に見るというのは、良くないことだと、そう思う次第です。何かしでかしたら他の人と同様に裁かれるだけの話でして。
この辺を取り違えて、感情論的に責めるのは、科学に対して、これは良い技術、これは悪い技術、といった偏見と同じではないでしょうか?
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