初出:2013/08/20 Vol.30 ロコモシンドローム その2
運動しろと言われて出来るなら苦労しない
運動不足こそ、メタボで慢性疾患以上に老後要介護者になってしまいますよーっ!
ってことで国民全員に「運動しろ」と厚労省からいきなり声をかけられたのが、ロコモ祭り。
運動しろといきなり言われて出来るほど我々は良く出来ていません。そもそもしっかりと運動をしていれば、ありとあらゆる美容もサプリも病気にかかりにくい体質作りも、すべて終わっているようなもの。
多少タバコを吸ってようが、酒をガバのみしていようが、運動さえしていれば、それなりに健康体で居れてしまうのは事実です。
酒とタバコにまみれ、栄養のバランスがとても取れているとは言えない、土方のお兄ちゃんや、配送業のマッシブな配達員、彼らはなんと見事な肉体美と年齢を感じさせない体付きがそれを物語っています。
脱毛と皮膚の紫外線加齢だけは避けられない感じではありますが、有り余る健康美をもたらしているのは疑いようがありません。
運動は七難隠すどころではない、健康と美をもたらすチートなわけです。
しかしそんなことは言われなくても分かっているけど出来ないのが人間なのです。
運動を生活に組み込む
そこで問題に対する考えを変えてみます。
運動を義務と考えるからいかんわけです。日常にすれば運動は義務という枷から離れて、生活の一部になるわけです。肉体労働はまさにその典型ですが、デスクワーカーにいきなり肉体労働は無理な話。
そこで、会社の行き帰りや通学の間に出来る運動を考えます。一駅分多く歩く・・・ではなく、背筋を伸ばして大股で歩くように常に意識する。これだけで腹筋の使うカロリーは2、3割増しになります。
当然いきなりやると疲れるので、片道だけや10分だけあたりから始めていきます。要するにクセにしていけばいいわけです。クセになれば、義務なんてものは存在しません。
あとは意識を変えるために毎日体重を計ったり、友達や彼氏、彼女、夫婦で夜に散歩をするというのを生活に加えるというのもありです。孤独な運動は張り合いがないために頑張ってしまいがちです。運動は頑張ったらしんどいので、しんどいのは本能的にイヤな気持ちになるわけです。だって人間だもの。
模範的クソ人間、相田みつをの言葉が体現しているとおり人間の精神なんてものは脆いものです。
故に、散歩や軽いジョギングに相方を連れて喋りながら1日を振り返ったりすれば、会話もできて、仲も深まり一石二鳥です。
と、いうわけで運動を生活に取り入れるには「この方法」というものは存在しません。だって人間だもの。生物多様性だもの。
クセや楽しみに運動を混ぜ込んで、「自分なり」の運動量増加をして、体と脳を誤魔化すのを第一に考えましょう。気が付けば、運動していない日は体が鈍って気持ち悪くなってくるはずです。
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