初出:2017/05/02 Vol.222 完璧主義と自己認識
先生、今日なんか視界が変なんですよ。病院行った方がいいのかな?
目玉が一個足りないんじゃない?
あっ・・・本当だ!気付かないものですね!
「完璧主義」の正体
「完璧主義」という言葉がある。完璧に物事を完遂しないと気持ち悪い性分という意味合いで使われる。
実際に自分も完璧主義な傾向があり、しばしば損を取っていることが多かったわけです。
しかし、ふと気がついたのが、自らで作った「完璧主義」という言葉はただの言い訳であるということです。
認知の上での「言葉」の内容が肯定的であれば、ついうっかり、それは「悪い事ではない」という自分への言い訳になってしまうわけです。
それが、響きがカッコよくて、さも利点もあるように思える性分であればまだ良いです。しかしながら、実際の「完璧主義」というのは「自分の思い通りならないことに対して、意地になってムカムカしつつイヤイヤ何かに没頭する」ということ。
これは精神衛生上、極めて良くないことです。
もちろん、だからといって何もかもいい加減で良いというわけではありません。ただ少なくとも「完璧主義」という言葉は、当人を不幸にし、回りまでそのイライラと作業停滞に巻き込む、損の方が多い「思考回路」であることが客観的に見ればわかります。
ここで大事なのは「客観視」ということです。
自己認識は案外難しいもの
人間は人に話をしていると気がつくと問題が解決したりするもので、自分というものを最も認識するのが下手くそなのは当人というものです。
自分というのは、単純に見た目ひとつでも、鏡で見えるのは左右反転した像。声だって、自分自身に聞こえるものは骨の振動が加味されているので、他人に聞こえるのは別物です。映像に取られてはじめてやっと「自分」の本当の姿形や声というものさえ、ようやく客観視できます。
しかしそれでさえ、映像というのは微妙に像の歪むものなので、それでも完全に自分ではないわけです。
このメールマガジンでも普段の健康を「何もない状態」ではなく、「健康な状態」であると、いろいろ意識してみましょう・・・というのをご紹介した事があります。
ふとしたことで、ここまで関節が曲がったはずが曲がらなくなったとか、息が上がりやすくなったとか、この程度の距離をあるいただけで息が切れる、足が痛いなんて、健康面の脆化に早く気がつけば、軌道修正も早くなると思いませんか?
買い物の時に、スリムな人のかごの中をちらっと見比べてみろという話は良くありますが、これも自分のカゴの中と比べることで、何が良くないんだろう・・・と漠然としたものに気づくための訓練だと思うわけです。
自分というのは最も自分が見えないものなので、客観的に見る癖を付けていけば、いろいろと発見もあり、結果的に幸せになることも多いので、いろいろ試してみてはいかがでしょうか?
宣伝
露骨な宣伝で恐縮です。「アリエナイ理科ノ大事典II」を、なにとぞ、よろしくお願いします。