初出:2016/05/03 Vol.170 承認欲求と人格障害とSNS
・・・・・・(ポチポチ)
なにしとん?
ああ、先生、いえ、ちょっとSNSにすげーのがいまして・・・
うわぁ・・・これはインスタ蠅だね!
パーソナリティ障害に関する不定期連載、今回はSNSとの関係のお話をしていこうかと思います。前回、前々回と比べるとモンスター度は低めですが、SNSでコミュ障をこじらせ過ぎた承認欲求型モンスターは、やはり人間関係的によろしくない場合があります。
SNSと自撮り中毒
SNSで、自撮りの写真を山ほどアップしてる人の中には、パーソナリティ障害の人がけっこういる・・・という話を聞いた事があります。
そりゃ自意識高い系の子がやってんだから、多少なりは変なのくらいいるだろう・・・と思ったら、まさかの「自分ブスすぎて死にたい〜(かわいいって褒めて)」系投稿をする人の中には、2、3時間、キマった写りになるまで自分を撮り続けている人がいるという話で、戦慄しました。
人は多少なりとも他人に認められたいという欲求があり、それが承認欲求というもので、過剰でなければ実に人間らしい普通の感情です。
しかし、これが度を過ぎてしまうと、人間関係にも亀裂を生じさせ、先の例のように、何より本人が不幸にしかならないという負の連鎖が始まります。
SNSはその人を映す鏡
TwitterやInstagram、FacebookといったSNSは承認欲求を気軽に満たすことが出来てしまうので、逆に言うと、承認欲求が強い人ほどハマりやすいという罠があります。
そうした人は本来、さみしがり屋でコミュニケーションに難がある事が多い事があります。自分ばかり見過ぎて他人を見てこなかったため、コミュニケーションに関する部分が育っていなかったりするのです。
この辺を未解決のまま、SNSを逃げ口として使ってしまうため、先の症状のように悪化してしまい、結果として悪循環が始まる・・・と言えるでしょう。
短絡的に見るとSNSは、こういった面倒くさい人ばかりが愛用するかの如く思われ、あたかもSNSが悪いかのように言われますが、結局は、心弱き人はなんらかの低いところへ流れていくので、ユーザー次第だと思います。
逆に言えば、SNSはその人なりを映し出す鏡でもあるわけで、やっかいさんを見分けるには非常に好都合なものであり、面倒な人ほど理想のアバターを仮想の世界で演じようとし、現実では以下略・・・というものなので、人を見極める時にも便利なツールではないかと自分は思うのです。
またSNSに居場所を求めても、それが1円にも成らない限り、人生を豊かにはしてくれることはなく、どれだけファボやいいね!が集まろうが、現実は何も変わらないという当たり前のことを忘れなければ、地に足が付いてない・・・なんてことにはならないと思います。
SNSは便利なツール。あくまでツール。道具は道具であって、居場所ではないと思うのです。
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