初出:2014/11/25 Vol.95 文章書きのルール 第3回 言い回しの統一
連載「文章書きのルール」第三回は、言い回しの統一である!
「ですます」と「だ、である」を混ぜない、という奴ですね。先生はわざと無視したりしますが・・・
そこは自分の文章の個性の一つだということで。四面四角じゃあ面白くないじゃん。
別にニュース記事を書いてる訳じゃありませんしね。
ただまあ、読みやすい文章を書くなら、「ですます」と「だ、である」の混在は避けなくてはならない。
ルールを敢えて破るなら、ルール通りに書けるようになってから、ですね。
「ですます調」と「だ、である調」を混ぜない
「ですます調」と「だ、である調」、この二つが文章を書いていく上での、初歩ルールになります。
実は自分はこのルールが大嫌いなので、あえて破っていることが多いのですが、文章を人に向けて書く場合、この二つの調子が混ざっていると、読んでいるリズムがおかしくなって、素人臭い文章になってしまいます。
逆にこれを統一するだけで「それっぽい」文章になるというのが、この調の統一です。
まずは実際の例を見てもらえばわかると思います、まずは「ですます調」。
私は、礼儀正しい人が好きです。そうでない者に出くわすと憤りを感じます。そこで、私の判断により、そういった者は夕食の食材にします。無礼な人間が減り、美味な料理へと変わることはある意味究極のリサイクルです。
これを「だ、である調」にすると
私は礼儀正しい人が好きだ。そうでない者に出くわすと憤りを感じる。そこで、私の判断により、そういった者は夕食の食材にする。無礼な人間が減り、美味な料理へと変わることはある意味究極のリサイクルである。
こんな感じです。
わざと破る「くられ式」
ただ、これはあくまで、素人臭さが抜けるだけで、おもしろみは少ない。なによりルールに縛られることで、流れが犠牲になってしまう。
そこで、一部だけ混ぜたり、口語調を混ぜることで、文章に流れが生じる。
私は礼儀正しい人が好きです。そうでない者に出くわすと憤りを感じる。そこで、私の判断により、そういうモノは夕食の食材にするのだ。無礼で非礼なモノが減り、美味な料理へと変わる。これはある意味究極のリサイクルではないだろうか。
結果的に、どのバージョンが正解かどうかなんてものはない。
ニュースや情報系ブログなどの情報発信を目的としたものであれば、調の統一は非常に重要です。
しかし、娯楽としての読み物である場合は、ルールに縛られるだけでなく、そこに自分なりのルールという味付けをしていくことが、作家性の一部ではないかなぁ・・・とも思ったり、思わなかったり・・・。
ただ、慣れてない人が「ですます調」と「だ、である調」をまぜこぜにしてしまうと、最初に言った通り、ただ読みづらいだけの素人臭い文章になってしまう事に注意しましょう。
また、商業原稿だと、基本的に最初に調を指定されます。この辺、当たり前ですが、一連の特集の記事の途中で調が混ざると読者が混乱するからです。
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